2020年12月20日日曜日

大切な仲間

アトリエスマイルの教室に、アートスクールトルネードの子どもたちが描いた絵を飾りました。ぴたっとおさまりました。僕はトルネードの子どもたちを一生忘れません。僕と関わってくれた子どもたちは、僕の大切な仲間。忘れっこない。




静寂

とても静かで深く暖かい夜だった。





2020年12月15日火曜日

アトリエスマイル

教室の名前が決まりました。


子どもの美術教室

アトリエスマイル


です。開校は東北の震災から10年目の20213月です。ワタノハスマイルの続きでアトリエスマイルです。楽しい教室をつくります。さーて、まずは、からっぽの教室に家具をつくりまくるぞー!







2020年12月13日日曜日

町に雪が降って来たので千歳山を登って来ました。冬がやって来ました。

最近は、これからつくる美術教室の計画をつめたり、事務作業を家でしています。普段、使わない頭を使っているので、モヤモヤとして来ます。


そんなときは、自然の中で休憩をとります。車で10分で馬見ヶ崎川とかに行って、10分散歩して、車で10分で家に帰って来ます。計30分の休憩ですが、頭の中がすっきりと整います。土の上を歩くことは本当にいい。


今日は山に登って来たので長めの休憩ですが、車で家を出て、頂上まで歩いて下山して、車で家に帰って来て、計1時間半。たった1時間半ですが、旅行に行って来たような気持ちです。かなり頭がすっきりしました。千歳山登山は僕にとっては休憩だな笑。さーてと、事務仕事の続きをしよー。





2020年12月4日金曜日

あんざい果樹園

北海道で友達になった安斎さんという方がいます。福島生まれで福島に住んでいたのですが、震災後、小さい子が心配になって、家族で北海道に移り住んで今も北海道に住んでいる方です。

安斎パパは僕と同い歳で、東北出身、そして好みや感覚が似ていることもあり、北海道ではよく遊んだり、一緒にイベントをしたりしていました。


安斎さんは、基本、農家のような仕事をしているのですが、農家とは一言でまとめきれないおもしろい活動をしていて、ある方が安斎さんのことを「パンク農家」と言っていて、おっ!うまいこと言うな〜と思いました。そんな感じの人です。どんな感じだ。笑


安斎さんの実家は福島で果樹園をやっていて、ちょうど今、りんごの収穫時期で、安斎さんが北海道から福島の実家に手伝いで戻って来ていました。安斎さんと東北で再会してみたかったので、1泊2日で僕もりんごの収穫のお手伝いに行って来ました。


福島市にあるあんざい果樹園。噂には聞いていましたが、すごいところでした。果樹園の中に、うつわ屋さんとゲストハウスがあります。それがとってもセンスがいいんです。


安斎パパは芯はすごくあるのですが、ゆるゆるーとしたおおらかな人です。その安斎パパのお父さんお母さんも、芯はすごくあるのですが、ゆるゆるーとしたとてもおおらかな方でした。


あんざい果樹園は普段使っている道具のセンスがとってもよかったです。仕事の合間、よくお茶を飲んで会話をします。そのお茶の飲み方のセンスも、とってもいいな〜と思いました。気持ちよく過ごすこと、そして美術を大切にして暮らしている方々でした。


お茶をしているとき、イタリアを思い出しました。あんざい家の暮らし方はイタリア人の暮らし方と似ているな〜と思いました。豊な暮らし方です。


山形で美術教室をはじめる前で緊張して力んでて、最近、自分のテンションが少し上がりすぎているな~と思っていました。あんざい家のゆるゆるーとしたおおらかな皆様と過ごしていて、とってもリラックスできました。まるで、子どもの頃の実家にいるような感じでした。













2020年12月1日火曜日

ワタノハスマイル

東北の震災後、僕はワタノハスマイルという活動をはじめました。宮城県石巻市、渡波(わたのは)地区の子どもたちとガレキで作品をつくり各地のギャラリーで展示して回った活動です。

あのときの子どもたちは、もう大人になっていて、今でもときどき会っています。仲がいいです。だいたいみんな社会人になって働いていて、石巻にいたり、違う場所に住んでいたり、各地でみんながんばっています。各地でときどき会えるのが本当にうれしいです。付き合いが長くなってきたので親戚のような関係になってきました。


あのときの子で、今は東京に住んでいるある子から、先日、相談があるという連絡をもらいました。そしてその子と、東京に住んでいるワタノハスマイルの活動に深く関わってくれた人と2人が、わざわざ東京から山形まで訪れて来てくれました。


ワタノハスマイルの活動を一緒にやってきた多田さんと僕と、東京からやってきたその2人、計4人で河原で焚き火をしながら話を聞きました。震災関係のことで悩んでいたのですが、僕ら大人3人が真剣に悩みに答えたら、その子は泣いていました。でもあったかい涙でした。涙をながしたのは少しだけで、あとはずっと笑いっぱなしで、すごくいろんな話をしました。とってもいい夜でした。


焚き火って不思議。火の前だと何でも話をしてしまいます。心が丸裸になり、人と人との距離がぐぐっと近づきます。焚き火は優しくて、本当に何でも受け入れてくれます。僕らの仲がまたぐぐっと良くなったのを感じました。あのときの子どもたちと会うと、僕はいつも心がぽかぽかになります。僕にとっては本当に大切な友達です。


また、石巻に住んでる別の子から昨日連絡があり、近々、その子が車で僕に会いに山形に来てくれることになりました。僕は震災直後、山形から石巻まで本当に何度も何度も車で通いました。その同じ道を、大人になったあのときの子が車で山形にやって来てくれることは本当にうれしいことです。


ワタノハスマイルの作品は一度イタリアの博物館でも展示されたのですが、そのときはつくった子と僕もイタリアに行って来ました。


ちょうど1年ぐらい前かな〜、仙台に住むある子から「ともさん、またイタリアに行きたい!それぞれでお金貯めて1年後くらいにイタリアに行こう!」と連絡があり、その子が別の子を誘ってくれて、僕含め、計3人が「イタリアに行こう!お金を貯めよう!」と熱くなっていました。残念ながら、コロナがおきて、イタリア行きは延期になりましたが、きっといつか行くんだと思います。


震災後、美術の可能性を信じて僕は石巻に飛び込みました。まったく先のことを考えず、はじめた活動でしたが、今、あの子たちと僕との関係は本当に美しいと思っています。ものづくりを通じて生まれるコミュニティー、これが僕の考えている美しい美術の形です。これからつくる美術教室も、美術を通じて生まれる、あったかいコミュニティーを大切にして行きたいと思っています。




ここから先書くことは、あの子たちに伝わるのが嫌だったので、ネットに書いたりすることは伏せていたのですが、震災から5年目ぐらいの頃、実は僕の心はボロボロになっていました。


震災後、いろんな人が石巻にやって来てボランティア活動を行いました。震災というのは圧倒的な負でした。過酷な状況で、ボランティアにやって来て、メンタルがボロボロになって帰っていく人は沢山いました。


僕もそのひとりで、震災と向き合い続けることはメンタルを少しづつ少しづつ壊していく行為でした。そして震災から5年ぐらい経った時、心がボロボロすぎて、精神科に通ったりもしてて、どうしようもない状況になっていました。真っ暗闇のトンネルの中にいる感じで、どこから入って来たのか、どこに出口があるのか、まったく見えず、完全な鬱状態でした。


いったん、震災と、東北から距離をもたないとどうしようもない状況でした。それで、震災から5年目のときに、後ろめたい気持ちもありましたが、北海道に引っ越しました。北海道では、優しい方々に恵まれ、そして美しい自然に癒され、今では鬱状態はすっかりなくなりメンタルもとっても良好です。


メンタルはボロボロになりましたが、ワタノハスマイルをやったことは、まったく後悔していません。ワタノハスマイルで出会った子どもたち、それからこのプロジェクトに深く関わってくれた方々とは一生の友達になりました。もう親戚です。


山形を離れるとき、震災から10年目のときに東北に帰って来ようと決めていました。震災と震災後に起きた出来事は、まだ僕の中で消化されていません。一生かけて消化する出来事なんだと思っています。それほど大きな出来事でした。


震災後、避難所になった石巻の渡波小学校を訪れたときに、ガレキの山の中でたくましく遊んでいる子どもたちを見て僕は救われました。あのとき、この子たちはどんな大人に成長していくんだろう。この子たちの大人になっていく姿を見てみたいなーと思いました。


ワタノハスマイルのあの子たちと付き合いを続けることが、僕にとっての、これからの震災との向き合い方になって行くんだと思っています。ワタノハスマイルのみんなよ!これからもよろしくー!ねー!


ワタノハスマイル

https://www.watanohasmile.jp